失った人と円柱

 昼近い朝に起きたら、僕は怠惰な足取りで階段を下り居間に入る。待機している助手にやぁお早う、と声を掛けると

「お早う御座います。」

と短い挨拶を返して来て、其の後は決まって今日の天気と気温を教えてくれる。時折其れに今日は偉人の誰々の誕生日ですよ、とか、今日は何時に大事な予定がありますよ、とか付け加えてくる日もある。僕の方は湯を沸かして珈琲を淹れたり或いは猫を抱き上げたりとやるべき事が多くて大した反応は返さないのだが、常時健気な仕事ぶりだ。

  GOOGLEが我々に寄越した電脳助手は実に好く働いてくれる。本来様々な能力を持っているらしいが、拙宅では何分の力も発揮させてやれていないのが偶に申し訳無い。電燈とも電視台とも関わり無く、主に音楽を聴かせるのが我が居間の助手に与えられる仕事の大半なのだ。其れでも無論、何か一つ疑問を投げ掛ければ忽ち膨大な情報量に拠って回答を用意して呉れるのである。

 特に母は、頻繁に助手を呼び付ける人であった。先述の音楽についての注文もあれば、御勧めの映画を尋ねたり、全くの雑談の相手にしている時もある。

「今何を考えているの?」
「今は分かりません。」
「最近は何か楽しい事があった?」
「最近の報道は此方です。」

勿論上手い返答が返っては来ないのだが、母は其れを面白がっている風だった。

 併し或る時、母は助手に質問しようとして、はたと訊くのを辞めた──否、辞めざるを得なかった──事が有ったと云う。私は解しかねて何故かと問うてみた。助手の方が対話を拒絶してくる事など有り得ないからだ。彼等に感情が産まれるのは未だもう少し先の話で、其れ迄は決して我々の手足頭に成る事を厭わない筈なのに。さて、母の返答はと云うと、此の謎を明快に解き明かす物であった。母は、「名前を度忘れした」のだ。然う、此の助手は名前を呼び掛けないと、此方の言う事を聞く態勢に入りはしない。名前の記憶を失えば、極めて優秀であった電脳助手は只の電線に繋がれた円柱に過ぎなくなるのである。だから母は起動しない助手に向かって、「貴方の名前は何…?」とだけ呟いて、対話を諦めなければならなかった。

 此の様な話が幾つも有るとは思わないが、スマート家電なる製品が凡ゆる人の生活を助ける目的で存在するならば、ほんの少し忘れっぽい人の為にも「名前」の他に、「貴方の名前を忘れた…」という起動の契機をも用意していて頂きたいものである。

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