脱幸福の試み、死生の九訓

Ⅰ.生に意味はない。ただ与えられた「時間」である
Ⅱ.故に楽しいことや幸せであることは無意味である
Ⅲ.魂は万物のイデアを知る
Ⅳ.美は唯一の、有意味に傾かない光である
Ⅴ.美は善と無関係である、美の対極は醜ではなく滑稽である

Ⅵ.ヒトは動物であり、人類は社会的な足跡であり、人間存在は感官である
Ⅶ.愛には、相手の知を愛する敬愛、肉体を愛する性愛、魂を愛する愛の三別があり、それらは階梯ではない
Ⅷ.識るべきものを識り、感ずべきを感じ、味わうべきを味わった時、「時間」は終わる
Ⅸ.死は唯一の、永遠である

本当の花の生命

 花瓶に挿した花の命の短き事よ。自然の移ろいに鈍感な現代人としての私は、然う云う花瓶の花の生き死にしか、注意して見て来なかった。いつしか花の寿命は儚く短い物だと思い込んでいた。だって通例花は儚き事の代名詞であるし、玄関先に在るものを超えて花を定点で見守る事など、人生の中で有り得なかったのだから。

神秘的真実について

 然し私には其の内でも、特別に、圧倒的に納得の行かない、一つの真実が在る。此の世を覆う不可思議の力を思い知る。其の真実は身近に在りながら、私にとって古代文明の遺せし金字塔や地上絵よりも謎めいて、自然の神秘、人間の認識のまやかしたること、秘密の因果と予定されし不条理を軽やかに暴き、そして披瀝する物である。

廃墟愛好趣味の終末

 廃墟を愛好する人々の内で平凡な価値観に、「今は失われし嘗ての人々の気配を感じられるのが、物哀しくて良い」というものがある。確かに廃墟には、異常な程に生々しい人間の息遣いが残っている。遊園地の廃墟やラブホテルの廃墟は其の最たるものだ。廃墟を好む趣味の無い人が真っ先に想像するであろう病院や旅館、学校等という部類よりも、人間の欲や快楽、夢の痕が沁み付いた場所の荒廃は、何とも言えない諸行無常さと人間の卑小さを象徴していて虚しく美しい。其処には人間というものが息衝いているのである。