精神が毛羽立っている夜は居間で寝る。然ふ云う時の寝室は大抵日中の行いに対する懲罰室となるからである。閉塞的な自己対話強迫の空間に弱った心は耐えられない。家屋の中で最も開放的な性質を備えているのが居間であり、私は其処に救いを求めるのである。寝台という断崖に囲まれた孤島でなく、曖昧な境界を超えて幾らでも延長していく基底の上にぎこちなく寝転がる。突き出た腕が其れでも中空でなく、支える何かに接するのは、子供時代に感じた鬱陶しい程の被護感を僅かに蘇らせて、何だか確かめる様に七顛八倒としてみた。此れなら眠れそうだ、と私は思い、ゆっくりと仰向けに居直って目を瞑った。
併し然うすると闇の中で、食洗機の音が自棄に大きく響いた。眠る前に夕食の皿洗を託したのだ。直ぐ耳元、或いは寧ろ耳の奥で鳴る様な気さえしたが、嫌悪感は無かった。電気製品の色灯の数多在る点滅、つい先刻まで空調機器が作動していて機械的均質性を保った空気の中で、私は”開けた”まま──換言すれば何かしらと”繋がった”まま、眠ろうとしている。近代反理想郷、空想科学風の違和感が私を楽しませた。目は瞑った儘である。ざぶりざぶりと大きく水が長濤り飛沫を上げる音は、きっと私の記憶を洗浄しているのだ。『人間は積み重ねる事によって苦しみ、積み重ねる事によって病むのである。今日産まれた赤ん坊が、昨日の罪を悩むであろうか?知識は”入力”すべきで、経験は”漂白”すべきだ。故に幸福の根幹たる物は忘却也。人は一日の終わりに記憶を”洗浄”する事に因って、天の国へ迎えられる由最も強かな純真無垢の心を持ち得るであろう。日毎に”授かる”無知に因って無知の知を自発的にそして平等に学び識る我々は、デルフォイ神託以て賢者ならん』…そんな演説を歴史の教科書で見た気がした…私達の植民惑星がTabula-rasaと呼ばれ始めた日…消されたくない記憶は努めて思い出さない様に奥底に仕舞い込む事で、私は”洗浄システム”に其れを見逃して貰おうとした…併し抗えない白紙化と眠気に蝕まれ、また全てを忘れてしまう…
ふと不躾に、顔面を毛玉に押し退けられた。驚いて意識が急浮上する。猫が枕元の直ぐ隣に陣取ったのだ。目蓋を開けて見遣った其の時丸い背中に対して込み上げた愛おしさは、何かに似ていた。其れは懐かしさだった。私の彼に対する愛だけは忘れさせる事が出来ないであろう、と先の空想の残響が思わせた。