AIは麗しき過誤を選択できるか

 我が弟は情報技術主義者で進歩史観の持ち主であるので、歴史学で学士を取った循環史観の持ち主とは屡々対照的な立場に立って話すのであるが、彼が「翻訳は最も早く機械化できる分野だろう」と言った時の隔絶は我々の歴史の中でも最も深かった。
 必修や教養課程が終わり漸と自分の趣味に偏重した履修を組んだ二回生の春、朝陽も夕陽も差し込まぬ不思議に薄暗い講義室の中の、初めて触れた古典希臘語の辞書でεσυを引けば【汝。】と訳の在るのが嬉しかった。其れは上から振り向けられる二人称である。二千年の時を隔ててしまった我々は古典という方法以外で此の死せる言語に当たる事能わない。神話が生活隅々に息衝き神託の導きに重きを置く言語の二人称が【君】や【貴方】でない事は、私には心底相応しく思えたのだ。翻訳の機微には解釈と思惑が交錯する。そして人は余りにも敏感に其れを受け取る。


 復た或る時、此れは前記事に丸切り投じてあるのだが、ソクラテスに関する英語のtextを訳していて彼の科白に”I changed the world!”とあるのを、どう訳した物かと小一時間思案した。ソクラテスが左様な事を云うか否か?というオタク的人物解釈論ではない(あくまで此処では)。英語圏で”I change the world!”と言う事の文化的自然さと、日本語でそのまま「私は世界を変えた!」と言う事の文化的不自然さを、受容の上で其の儘にして良いとは思えなかったのである。結局上手い訳が思い付かず、伝聞調にすることで何とか収めた。一度単なる趣味の域を出れば、此れは誤訳か、捏造かもしれない。併し私としては、其れでも最も相応しい翻訳が出来たのではないか、と感じるのだ。多少の専門知識と先行訳の深化学習を経た所でAIは斯様な「正であらん為の誤」訳を思い付いたりするのであろうか。


 こんな例を以て彼に問えば、「いや学習次第!」という返事が本心か詭弁か曖昧に返ってくる。タクシーの後部座席に乗り合わせながら抗議の声混じりに言う私の「仕方の無い奴め」を、AIが”You’re hopeless.”などと訳しませぬように。

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