靴下は厚めが好きだ

 未曾有の軟禁元年もそろそろ初夏に差し掛かるが、肉厚の靴下を好きで履いている。暖かさよりも、分厚いという事が重要だ。靴の中が靴下の肉でギュッと詰まって、自分の足の肉と一体に成っているかの様であると、何だか走り易い様な気がする。此処十何年、碌々疾走した事など無いにも関わらず。

 農耕民族に生まれた上引き籠り質の小生が「早く走れそうだ」という事に快さと安心感を感じる程に、人類の遺伝情報は雄弁であるが、其の実、靴や靴下と云う物は走る事に便宜を図って生み出されたものではないようだ。歴史を調べると、食糧闘争の末に原生地を離れ裸足では歩けない熱砂の土地に進出する際、人類はサンダルを発明したのだと云う。靴下は靴の中が蒸れるから開発されたに過ぎないようだ。追われ喰らわれる者、或いは駆けて狩る者が、命に代えて能力の研鑽を試みたというより、ビーチサイドでのサンダルや水田での田下駄こそが、ホモ・ファーベルに依る靴発明の本質らしい。

 ならば小生が「速く走れそうだから靴下に肉厚を要求する」というのは、厚い足裏の皮膚という既に失われた身体性を取り戻そうとする無意識の欲求なのだろうか。微かに触れられても擽ったいという程に鋭敏に微弱くなった現代人の足の裏は、最早靴の意義を地球上を立ち歩む為の唯一の手段という程に肥大化させているし、靴下には自然界には存在しない疑似の理想的大地を求めている。足の二十本の指が踏み締める柔らかな布、そして実際の大地と我々を触れさせないで居て呉れる緩衝材、其れが無ければ真面に外界に出て行けもしない脆弱な現代人である小生は、嘗て原生地にて人類が持ち得た強靭な足、地球を直に踏み締め跳び駆けたあの足をこそ、 懐かしく思い出し、言い様も無く好ましく思うのではないか。

 偏平足で外反母趾の白い足を見ながら、今日も我が仮初の肉となる靴下を履く。

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